2024年最初の投稿をどうしようか悩みましたが、今自分が感じていることを残しておくべきだと判断しました。
この記事では2024年能登半島地震の件について触れております。読むのがお辛くなるかもしれませんので、たまたまこのページにたどり着いた方はどうかここでお戻りください。
まずは被災地の方々へお見舞いです。
このたびの能登半島における大規模な地震により、お亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げます。また、被災されました多くの皆様及び関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
そして、現在被災者の救済と被災地の復興支援にご尽力されている方々に深く敬意を表します。
自分にできることは?どう過ごしたらよいのか
被災地の方々は、今も厳しい状況で必死に生きていらっしゃる。
一方で、私は地震が起きる前とほぼ変わらない生活です。
1月1日、震度7の地震が起きたときは私が住んでいる地域でもかなり揺れました。
私は年末から実家に帰っていて、家に1人でのんびりしていたときです。
最初小さな揺れに気がつくと、そのあとスマホから緊急地震速報のアラートが。
揺れも大きなものに変わり、しかも中々収まらずとても怖かったです。
「避難することになるだろうか」「1人でどうしたらよいのか」など混乱しながらも、テレビを観ると石川県の方が危険だとわかりました。
思い出したのは2011年の東北地震。
なんでこんなときにと思わずにはいられませんでした。
能登半島地震から時間が経つごとに被害の状況が明らかになり、本当に心が痛みます。
正直に申し上げるとニュースはほとんど観ないようにしています。
地震直後は積極的に観ていたのですが、観ているうちに辛くなってしまったからです。
被災地の方が1番辛いのですから、ニュースを観るのが辛いなんて言うのも申し訳ないのですが、亡くなった方の情報や被災された方の言葉を聞くたび居た堪れない気持ちになります。
家族や親族とお正月を過ごしているとき、話をしたり食事をしているとき確かに楽しいはずなのですがふと「私は楽しくしていてよいのだろうか」と頭を何度もよぎりました。
被災地の方々はお正月どころではない
家族の安否がわからず不安
大切な家族や家を失った
そんな方々のために何もせずただ日常を送っていよいのだろうか。
笑っている人もいれば泣いている人もいる
ふと、私がペットを亡くしたときのことを思い出しました。
世間ではペットの犬の死で、よくある話でしょう。
でも、私にとっては間違いなく大切な存在を失ったときであり、本気で時を巻き戻せないか何度も考えました。
どうしょうもないほど悲しく、辛くてあり得ないほど泣いていたのですが外から人の声が。
お隣さんか近くを通った方の話し声だったのだと思いますがその時家の外と中の温度差に気がついたのです。
家の中、家族は悲しみの真っ只中ですが、一歩外の人たちにはいつもと変わらない時間が流れている。
「なんで自分はこんなに辛い状況にいなくちゃいけないんだろう」
とよくわからない感情を抱いたりもしましたが、それは私からほんの小さな世界でしかないんですよね。
だって、家の外にいるすべての人たちが平和に過ごせている訳ないですから。
いつもと変わらない時間を過ごしている人もいれば非日常な出来事に直面している人もいる。
笑っている人もいれば泣いている人もいる
寝ている人もいれば働いている人もいる
それぞれの時間、世界があるんですよね。
全国や世界的に何もなくても個人レベルでは常に何かしら起きている。
ただ知らないだけで。
日常をただ生きる
私が経験したペットの死と今回の地震で被災された人の苦しみを比べたい訳ではありません。
たまたま今回の地震の被災を免れた私ですが、大なり小なりショックは受けています。
それでも時間は容赦なく流れていきます。
その中で何かしらやることが、日常を過ごさねばなりません。
寝ることだったり食べることだったり。
行くのが億劫に感じてしまう仕事にも行かねばなりません。
いつも通りのことをする必要があります。
いつも通りの中にも辛いことはあるけれど、こういった大きな災害や事件などを知るたび、自分が恵まれていることに気づかされます。
いつも会える人がもう二度と会えなくなるかもしれない。
見慣れた景色は明日も見られるかはわからない。
今の私は祈ることしかできませんが、被災された方々が一刻も早く安心できる日々が戻ることを祈っています。
いまは、時間が経つのさえ辛いかもしれません。
時間が経つほどに諦めたくなるかもしれません。
「失ったもの」「帰ってこない日々」を思い知らされるかもしれません。
辛いとき不安なとき1人で抱え込まなくてよい状況であってほしいです。また誰かと笑えますように。